ヤマとニヤマとネコ
- yukisyoga
- 10 時間前
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ウチの近所には、黒い野良猫たちが暮らしています。みんな黒いので見分けがつかないのですが、 その中で、数匹のグループから少し離れた場所をテリトリーとする、一匹の黒猫がいます。耳と尻尾の付け根に傷のある黒猫。
この数週間、そっと見届けてきましたが、耳の傷は少しずつ毛に覆われ、回復に向かっているようで安心しています。私にも少し慣れてきたようで、犬派だった私が、すっかり猫に夢中。最近はクロネコのことを毎日考えています♡ 猫のおもちゃまで手作りしてみたり……。
ただ、近頃は寒さも増してきました。 「猫はこたつで丸くなる」。寒さには弱いようです。
急に心配や不安が湧いてきて、そんな時にネットで知ったのが野良猫用「段ボールハウス」。 作らなくては! 暖かくしてもらわなきゃ!
そう思って作り方などを調べていたところ、はたと気づきました。 自分の敷地ではない場所に置くのは良くないのではないか、ご近所さんの迷惑になってしまうかもしれない。 そして、このクロネコは野良猫として生きていく力を、すでに持っているということ。
ウチに段ボールハウスを置いて連れてきちゃおうか。 でも、それは猫にとって隠れ場所がなく、かえってストレスになるかもしれない。
そんなふうに考えていくうちに、野良猫との良い距離感が見えてきました。傷も癒えつつあり、「生き抜く強さ」も育っているはず。 もっと何かをしてあげたい、という自分のエゴを手放し、 見守ることは、何もしないことではない、という気づき。 そう思えたとき、私の中がすーっと落ち着いていきました。
あとから振り返ってみると、これはヤマ・ニヤマでいう アヒンサー、アパリグラハ、そしてイーシュヴァラ・プラニダーナが、同時に起きていた体験だったのかもしれません。
ご近所という環境との調和を大切にし、助けたい衝動を否定せず、 猫の世界を自分の管理下に置かず、委ねてみること。
優しさとは、何かを「する」ことだけではなく、 無理に踏み込まないこと、 手放すことの中にも宿っているのだと、改めて教えられました。
ここで起きていたことは、ヤマニヤマ的に見て「正しい行い」をした、という話ではありません。 この選択が正解だったとも、他の関わり方が間違いだったとも思っていません。 その時の状況や自分の心の動きを丁寧に観て、結果としてそう在った、ということです。
ヤマニヤマは、正しさを当てはめるための教えではなく、 自分の内側で何が起きているのかに気づき続けるための視点なのだと、あらためてネコから静か〜に気づかせてもらった気がします。
ネコ先生、ありがとう!🐾





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