最近のヨガについて思うこと
- yukisyoga
- 7月9日
- 読了時間: 5分
少し批判的に聞こえる部分があるかもしれません。けれど、これは誰かや何かを否定したいわけではありません。
私はヨガが大好きです。
だからこそ、本来ヨガが持っている豊かさが十分に伝わらず、いつしか「消費するもの」の一つになってしまっているような現状を、少し残念に感じています。
今、私たちが抱いている「ヨガ」のイメージを、一度横に置いて眺めてみたい。そんな思いで、この文章を綴ります。
近年、ヨガも時代とともに大きな市場の中に組み込まれるようになりました。
今は、「ヨガそのもの」よりも、「ヨガ+何か」が求められる時代なのかもしれません。
ヨガとアロマ。
ヨガとごはん。
ヨガとダイエット。
ヨガと絶景。
ヨガとヤギ。
ヨガとDJ。
ヨガとビール。
もちろん、それぞれに魅力があります。相乗効果を生み、ヨガと出会うきっかけになるものもたくさんあるでしょう。
でも、その一方で、「ヨガだけでは価値として伝わりにくい」という空気も感じています。
私は、本来のヨガは何かを付け足さなくても、十分に深く、価値のあるものだと思っています。
現代のマーケティングは、私たちにこのようなメッセージを送り続けています。
もっと健康に。
もっと柔らかく。
もっと引き締めよう。
つまり、「今のままでは足りない」という前提です。
けれど、ヨガは本来、その逆の方向へ向かうものです。
足りないものを探すのではなく、すでにあるものに気づいていくこと。
何かを付け加えて完成するのではなく、本来の自分へと還っていくこと。
だからこそ、ヨガを「もっとできるようになるため」の手段としてだけ捉えてしまうと、その本質から少しずつ離れてしまうように感じます。
また、ヨガには「感覚を内側へ向ける」という大切な実践があります。
けれど現代では、私たちの意識はどうしても外へ向きやすくなっています。
素敵なウェア。最新のヨガグッズ。美しいスタジオ。
もちろん、それらを楽しむことは悪いことではありません。
しかし、知らず知らずのうちに、「身体がどう感じているか」よりも、「どう見えるか」が優先されてしまうことがあります。
身体の内側で起きている小さな変化よりも、鏡に映る姿や、人からどう見えるかを気にしてしまう。
それは、ヨガが大切にしてきた方向とは、少し違う方向なのかもしれません。
SNSには、美しいポーズや高度な柔軟性が数多く並びます。
それらは努力の積み重ねであり、本当に素晴らしいものです。
けれど、それがいつしか「難しいポーズができる人ほどヨガが深い」という錯覚を生んでしまうこともあります。
本来、ヨガの深さはポーズの難易度では測れません。
どれだけ自分を感じられるか。
どれだけ穏やかな心でいられるか。
どれだけ日常の中でヨガを生きられるか。
そこにこそ、本当の実践があるのではないでしょうか。
現代人は、思考ばかりが忙しくなり、身体感覚が置き去りになりやすい時代を生きています。
「頑張れば結果が出る。」
その考え方を、そのままヨガマットの上にも持ち込んでしまうと、「痛い」「苦しい」という身体からの声さえ、努力で乗り越えようとしてしまいます。
けれど、ヨガは身体をコントロールする時間ではありません。
身体を観察し、耳を傾け、対話していく時間です。
身体は管理する対象ではなく、一生付き合っていく大切なパートナー。
ヨガは、その声をもう一度思い出させてくれる時間でもあります。
そして、現代ではポーズばかりが注目される一方で、ヤマ・ニヤマという日々の生き方が軽視されがちです。
けれど、私はこここそがヨガの土台だと思っています。
どれだけ難しいポーズができても、自分や誰かを傷つけたり、偽ったり、欲に振り回されたりするなら、それはヨガの目指す方向とは違います。
また、身体を動かしたあとの爽快感ももちろん素晴らしいものです。
けれど、本来のヨガは、その先にある静けさや、瞑想の時間までを含めた実践です。
その静けさの中で初めて、自分自身と出会える瞬間があります。
もちろん、私は今のヨガを否定したいわけではありません。
お気に入りのウェアは気分を上げてくれます。
ヨガと他のものを組み合わせることで、新しい出会いも生まれます。
そうした入り口があることは、とても素敵なことです。
ただ、もしヨガを続けていても、
何か満たされない。
頑張っているのに疲れてしまう。
長く続かない。
そんな感覚があるなら、一度だけ立ち止まってみてもいいのかもしれません。
何かを得るヨガから、手放すヨガへ。
見せるヨガから、感じるヨガへ。
消費するヨガから、ただ在るヨガへ。
少しだけ目を閉じてみてください。
評価も、ウェアも、できる・できないも、ちょっと横に置いて。
ただ静かに座り、自分の呼吸だけに耳を澄ませてみる。
そこには、誰かと比べる必要もありません。
上手いも下手もありません。
あるのは、呼吸があり、いのちがあり、静けさがあるだけです。
私は、その静けさこそが、ヨガの本来の姿なのだと思っています。
何かを生み出さなくてもいい。
生産性がなくてもいい。
何者かにならなくてもいい。
ただ、ここに在る。
その何でもない時間の中に、ヨガの真髄は息づいています。
難しいことはありません。
ただ、手放し、存在するだけ。
それが、私が大切にしたいヨガです。




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